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連載 私の雑記帳  (4)右投げ左打ち
2007/06/28(Thu)
 私は小学生の頃、近所の友達を集めては牧草畑で野球をして遊びました。
 なにせ、時流は「巨人・大鵬・卵焼き」でしたから、守備は巨人軍の長嶋茂雄選手にあこがれ、打撃は王貞治選手の左打ち1本足打法をマネすることがとてもうれしかったのです。(写真は、小学校6年の修学旅行・摩周湖で、左が私。三人とも巨人軍のGYの帽子) その影響かどうか分かりませんが、知らないうちに右投げ左打ちになっていました。
 中学と高校の6年間は、野球部の活動に没頭し、中学・高校とも主将をつとめました。
 中学時代は地区大会で優勝するなど、北海道のなかでも強豪チームの一つでした。高校時代は、負けてばっかりでしたが、練習だけは一所懸命やりました。
 今では、こういうと信じてもらえないでしょうが、走・巧・守そろった遊撃手で1番バッターでした。(写真の打者は私、高校野球地区大会で)
 野球は、強いから勝つのではなく、勝ってさらに強くなるスポーツのように思えます。
 3年前、夏の甲子園大会で駒大苫小牧高校が優勝し、真紅の優勝旗がいっきに津軽海峡を渡った時には感動で体が震えました。
6年生修学旅行・摩周湖

高校野球十勝地区大会

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学校公開で授業参観しました。6月27日
2007/06/27(Wed)
 6月27日、地元の小学校の学校公開授業を参観しました。
副校長先生曰く。「区議会の議員さんが公開授業を観に来られたのは初めてです」。
 4年生の国語の授業では、生徒たちが物語を感情をこめて上手に朗読していました。
 この授業が校内研究授業にもなっていたようで、他の先生方も熱心にメモをとっていました。 
 授業が終って、校長先生が「お茶でも」とおっしゃるので、校長室の応接でしばし雑談しました。私が「校長先生、いっせい学力テストの結果はどうでしたか」と聞くと、「全都平均より下で、区内でも下の方なんです」と、頭を抱えられました。
 「公開授業に寄せて」の校長先生の文書では、学力向上のため、①夏休み終了を3日早めて授業をはじめる②月末補習を行う③夏期補習教室を行う④学習塾教師が支援に入る。さらに、教師の技術向上などを保護者に約束しています。 
 1年生にも、テストに向けた「月末補習」授業が5校時にありました。
 下校する子どもたちの背中が丸まって見えました。
小学校の運動会

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いっせい学力テスト・学校選択制で子どもたちは・・・
2007/06/26(Tue)
 いま東京都では、都独自の一斉学力テストをおこない、区市ごとに詳細な結果を公表しています。
 6月21日の区議会文教委員会で、1月16日に実施された全都の小学5年生、中学2年生の学力テストの結果が報告されました。
 テスト当日、「自分が平均点を下げてしまうから」といって欠席する児童も少なくありません。成績が良い子も、「友達が競争相手にしか見えない」といいます。全都一斉テストまでして、子ども達の成績を公表し、序列をつける必要がどこにあるのでしょうか。
 江東区では、一斉学力テストが学校選択制とセットで実施されています。
その結果、「成績上位校」には新入生(小1、中1)が集中し、逆に新入生が入っても十数人という学校は統廃合の危機にさらされています。
隣の学校はいっぱいなのに、こちらの学校には入ってこない。こうした学校で学ぶ子どもたちの心に、どんなに深刻な傷を与えているでしょうか。
 4月24日、「子どもと学校の序列化につながる」との批判にもかかわらず、小学6年、中学3年生を対象に全国一斉学力テストが実施されました。
 

 
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連載 私の雑記帳  (3)つり橋
2007/06/21(Thu)
 北海道十勝で明治時代からの開拓農家に生まれた私は、4人兄弟の二男として自由に育ちました。
 小学校へは、約5キロの道のりを、低学年の頃は歩いて通いました。
 家からすぐのところに、川幅20メートルくらいの浦幌川(うらほろがわ)が流れていました。この川は、十勝川水系の1級河川で、十勝太(とかちぶと)で太平洋に注いでいます。浦幌川は1993年、環境庁の「きれいな川」全国一となりました。
 私は、浦幌川にかかっていたつり橋を渡って学校へ行きました。そのつり橋は、ワイヤーと板張りで作られた簡単な橋で、風が吹くと左右に大きく揺れ、大雨が降ると川の水かさが増して橋板が流されてしまうことが度々ありました。その時は大きく頑丈な橋まで行かなくてはなりません。さらに学校が遠くなりました。
 このつり橋にはもっと嫌なことがありました。つり橋の手前の家に、「ナツ」というなまえの黒茶色でいかつい犬がいました。「ナツ」が、橋の真ん中で私を待ち構えているのです。私は、橋の支柱によじ登って、「ナツ」が渡りすぎるまでじっと静かに待ち続けました。
 私は戌年(いぬどし)生まれなのに、それ以来、犬は大の苦手になりなした。
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補正予算が決まりました 6月18日
2007/06/19(Tue)
 18日、2007年度一般会計補正予算が区長から提案されました。
私は、その審査特別委員会のメンバーとして審査にあたりました。
 今年3月に議決した今年度の予算に、総額2億2千3百万円が増額されました。
 今回の予算の柱は、子どもの医療費無料化を中学3年生までの入院に加え、10月から通院も無料とするものです。
 また、待機児解消策として、私立認可保育園を建設する際、区が融資するための基金を1億円に増やして、最大4億円の融資枠としました。
 さらに、2010年から向こう10年間の区政運営の大方針、綱領ともいえる基本構想、長期基本計画をつくるための基礎調査費も計上されました。
 子どもの医療費無料化については、1980年代から新日本婦人の会がお母さんたちと運動を展開し、日本共産党区議団が92年に3歳児までの医療費の無料化の条例案を提出。他会派の賛成を得られなかったものの、実現を求める世論の高まりの中、区が翌年に3歳児までの無料化を実施。
 その後も、所得制限の撤廃、就学児までの無料化、小学校6年生まで、中3までの無料化と、一貫して提案してきました。
 いま、この医療費無料化を国の制度として確立するよう求めています。
 日本共産党区議団は、区長提案の今年度の補正予算案に賛成しました。
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本会議で一般質問しました。6月14日
2007/06/14(Thu)
 Rimg0136江東区議会第2回定例会が6月13日~29日の会期で始まりました。
 私は、日本共産党区議団を代表して一般質問に立ちました。
 地元から大勢の人が傍聴に来ていただきました。
 「迫力あったよ」「私もひとり暮らしだが、孤独死問題をよく取り上 げてくれたね」など、感想が寄せられました。
★高齢者に支給されている補聴器。耳の大きさや形は人それぞれ。
 “うまくフィットしない”の声を取り上げました。
 区は「機種の選択幅を広げることを検討する」と約束しました。
★「中小企業は地域経済の主役」「商店街はまちの宝」という立場で  「江東区中小企業振興条例」を繰り返し提案。区は23年前からズーッ と「必要ない」と拒否し続けてきました。
 でも、今回はちがいました。「条例化を前向きに検討する」との答え をひきだすことができました。“やったー!”
★築地市場が江東区豊洲に移転を計画。実は、その土地が環境基準を超える毒性の強い有害物質で汚染されていました。私は、「食の安全 こそ最優先に考えるべきだ」と迫りました。
 区は、「十分認識している。今後必要に応じて東京都へ要望していき たい」と述べました。
 一般質問の詳細はこちら
 
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連載 私の雑記帳 (2)銀色の道
2007/06/14(Thu)
 私は1958年(昭和33年)北海道の道東、十勝郡浦幌町で四人兄弟の次男として生まれました。家は、明治中期以来の開拓農家でした。
 町の小学校までは五キロの道のりがあり、低学年の頃は歩いて通っていました。学校へ出かける冬場の早朝六時半頃は真っ暗。でも、うれしいことに月の灯りで銀色にきらきらと輝いている固雪に乗ると、最短距離で学校へ行けます。途中、雪の中にズボッと埋まっては、長靴に入り込んだ雪をまるでタンチョウ鶴のように片足で上手に立ちながらトン・トン・トンとはらい出し、また黙々と前に向かって歩き出します。
 十勝平野の冬は、雪が少ないかわりに半端な寒さではありません。私は氷点下二十六度を体験しましたが、「しばれる」「手袋をはく」という方言が厳寒の北海道にぴったりの言葉だとつくづく思うのです。
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墨東病院を視察しました。
2007/06/11(Mon)
 いま、都立墨東病院では医師や看護師が不足し、産科などの診療が困難となっています。「墨東病院で子どもを産みたくても受け付けてもらえない」という切実な声が日本共産党区議団に寄せられ、五月十四日に視察しました。墨東病院は、区東部医療圏(江東・墨田・江戸川)において最大規模の総合病院で、入院患者の31%、外来患者の32%が江東区に居住する患者さんです。
 東京都は、墨東病院の運営を直営で行うことをやめ、独立行政法人化を検討しています。都立墨東病院は救命救急医療(ER)や周産期医療など、民間病院が「採算が合わない」とする医療を中心にかけがえのない役割を果たしています。
 もし、独立行政法人化されれば、都が直接経営に責任を負わなくなり、人手不足が解消されるどころか経営優先でますますひどくなることは目に見えています。都立墨東病院の経営はこれまで通り都の直営で行い、医師、看護師の確保を責任をもって行うことこそ必要だと思います。
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本会議で一般質問に立ちます。
2007/06/10(Sun)
 6月14日(木)午後1時30分過ぎに当選後初の本会議質問に立ちます。
 質問内容は、①高齢者施策の拡充について ②中小企業・商店街への支援について ③豊洲への築地市場移転問題についての3点を取りあげます。質問時間は15分、答弁が15分程度です。傍聴は何の手続きもいらず、自由にできます。江東区役所5階、エレベーターを降りて右側です。お気軽にお出かけください。
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定員になりました。
2007/06/10(Sun)
 7月の例会山行(上高地自然探訪と前穂高岳山麓トレック)は28名の定員になりましたので、募集を締め切らせていただきました。
                   ありがとうございました。
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すなまち山の会について
2007/06/10(Sun)

 すなまち山の会について


 創立は2002年8月16日、奥多摩・御岳山から日の出山へ縦走し、「つるつる温泉」で入浴した山行で発足しました。
 設立会員が6名で歩き出した会も、隔月の第2土曜日の例会山行や新年会、お花見の会などの活動を重ねて、現在76名の会員登録をしていただきました。ファミリー単位の登録ですので実際には90人ほどになります。
 移動手段には貸し切りバスを利用して、山に登れない参加者のために周辺の観光スポットへご案内したり、下山後に立ち寄り温泉を楽しみ、昼食を囲むこともあります。帰路の車内はカラオケルームに早変わりします。年会費は1家族1000円、参加費は5000円から7000円くらいです。2004年からは1泊2日の山旅を夏山で実施しています。


  最近の例会山行(日光市足尾・備前楯山4月28日(土))


第26回


  次回の例会山行(長野県・上高地7月28・29日)
第27回例会案内(表面)

第27回例会案内(裏面)

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二子山(1165m、埼玉県)に登ってきました。6月9日
2007/06/10(Sun)
 東京を出発したときには晴れていた空が、山が近づくと雲におおわれ、身支度を整えたときには顔に冷たいしずくを感じる天気になっていました。 「すなまち山の会」の会報を見て二子山の岩峰に挑戦するのは会の企画を担当するAさんと私、5人の熟年女性の7人パーティーです。東岳との分岐の股峠までは結構きつくて、体を慣らすのに苦労しました。 雨足も強くなってきて、滑りやすくなった登山道を慎重に進み、両手、両足を駆使した登りを過ぎると頂上に続く岩稜に飛び出し、どんよりとした空が目前に広がりました。
 西岳頂上には11時40分に到着しました。昼食は稜線を下りきってからにしようと記念撮影を済ませて、回復してきた天気に勇気づけられて下山にかかりました。
 両側の切れ落ちた岩場の通過は、同行の女性たちにとっては初めての経験だったので緊張の連続だったと思います。 私は12月の両神山赤岩尾根、5月に登った西穂・独標での経験があったので少し余裕を持って歩くことができました。彼女たちもこれからの山行でこの経験が生かされるだろうと思います。
 魚尾道峠に下り立ち、岩壁の基部にある平地で弁当を開き、「怖かったね」とか「でも面白かったね」と感想を言いながら青空ものぞき始めた下山道を坂本に向かいました。    山菜取りしながら下山

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連載 私の雑記帳 (1)北の大地
2007/06/07(Thu)
 私の故郷は北海道の東、十勝(トカチ)です。地図では、襟裳岬から太平洋岸に沿って北東へ向かったところにある平野です。
「トカチ」は、アイヌ語で「女性の乳房」「魚の皮の焼きこがしたのをいう」などの説があります。江戸時代には、アイヌ語を仮名や漢音で表現する際に、正確に書き表すことが難しく、のちに伝えられた地名の音が、本来の意味を失うということもありました。だから「トカチ」の名称由来にも諸説が多いのです。
 明治30年3月、私の祖父・作次郎が15歳のとき、父親の常次郎とともに富山県から浦幌に入植し、開拓の鍬を振りおろしました 私は、作次郎の末っ子(10人兄弟)の良雄と母・としえの次男として、1958年(昭和33年)1月に生まれました。(写真中央が私、左が祖母、右が兄、後方に姉)北の大地で、5才上の兄と3才上の姉、5才下の弟の4人兄弟の中で自由に育ちました。「4人とも分けへだてなく平等に育てた」ことが母の自慢でした。
 その母は、ウソをつこうものなら、農作業中でも持っていたカマを振り上げて、鬼のような顔をしてどこまでも追いかけてきました。 私は畑の中を必死に逃げ回りました。           次号へCCF20070711_00000.jpg

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会派結成届の提出
2007/06/07(Thu)
 私は、今回の区議選で3,457票(前回比プラス1,329票)を獲得し、四年前に失った議席を回復させていただきました。選挙が終わって全議席が決まった時点での各党派の獲得議席は、前回比で日本共産党がプラス1の8議席、自民党がマイナス2の11議席、公明党は11議席で変わらず、民主党がプラス4の7議席、市民の声がプラス1の2議席、生活ネット1で変わらず、無所属がマイナス4の4議席でした。
 ところが、自民党は水面下で4人の無所属議員を執拗に勧誘。結局、山本かよこ議員、いたつ道也議員が自民党会派に入りました。
 また、民主党会派へ、そのべ典子(生活ネット)、新島つねお議員の二人が合流しました。5月14日、新会派届が議会事務局へ提出され、自民13、公明11、民主ク9、共産8、市民2、無所属1の勢力図となりました。
無所属で当選した議員は、自分を「高く売る」ことで、正・副委員長ポストや希望する委員会に所属できるメリットがあるでしょう。しかし、「無所属」ということで選んだ選挙民に何と説明するのでしょうか。これらの議員もまた区長の提案に何でも100%賛成してきた人たちです。  
当選証書の授与

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リンクについて
2007/06/06(Wed)
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 ○現在、リンクは使用させていただいている素材屋さんと
  長くお付き合いのある方に限らさせていただいています。

 ○申し訳ございませんが、お話しをしたことのない方や営業目的の
  リンクだけのお申し込みはお断りしています。

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2007/06/06(Wed)
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はじめに
2007/06/06(Wed)
お立ち寄りいただきありがとうございます。おかげさまで江東区議会議員に返り咲き、2期目の当選を果たしました。私の議会活動をお知らせします。みなさんのご意見をお聞かせください。
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