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連載 私の雑記帳 (9)羅針盤
2007/07/26(Thu)
 三菱銀行玉川支店に入行した私は、2年6カ月で大田区の蒲田支店へ転勤となりました。銀行ではだいたい3~4年で転勤命令が出されます。
 当時、私が暮らしていた独身寮は大田区北馬込にありました。8畳の部屋には洋服ダンスと本棚が備わっていました。銀行へ入って3年間は2人部屋制になっていて、静岡県掛川市出身の同期と同じ部屋でした。
 ある日、寮の管理人さんが「○○号室の人は変わっているから近づかないほうがいいよ」というのです。そう言われると、その人の顔が見たくなり、ドアをノックしました。
 それが日本共産党へ入るきっかけになろうとは思いもよりませんでした。
 コタツに丸まっていたその人は、福島県出身で言葉の節々に会津なまりが残っていました。 「正保君、今の日本の政治をどう思うか」と話し始めるのです。まるで日本の進路を憂う幕末の志士の姿に似ていました。なにか熱いものを感じました。
 戦前、他のすべての政党が侵略と戦争、反動の流れに合流するなかで、日本共産党が平和と民主主義の旗をかかげて不屈にたたかいつづけたことを、この党員から初めて聞かされました。心が動きました。
 私は、「人生に確固とした羅針盤をもった生き方をしたい」と思い、日本共産党へ入党しました。北海道から出てきて3年が過ぎたばかりの21歳の夏でした。           つづく
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深川不動尊前の街頭演説に800人
2007/07/24(Tue)
政治戦も終盤へ入り、大激戦の東京では日本共産党の女性(政治家42歳)が大接戦を熱くたたかっています。
 22日(日)、深川不動尊前でおこなわれた街頭演説は、800人をこえる聴衆で熱気につつまれました。
 自民・公明の暴走を止めるにはこの女性が必要です。
日本共産党は現在参院9議席。1議席ふえれば、緊張感ある党首討論が実現します。2議席増えれば、国民のみなさんの願いが法案として国会に提出できます。「たしかな野党」の議席が伸びれば政治は変わります。
深川不動尊門前の宣伝風景

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連載 私の雑記帳 (8)多摩川の決闘
2007/07/19(Thu)
 1976(昭和51)年4月、三菱銀行玉川支店に入行した私は、資金係と普通預金窓口を経験し、2年が過ぎ3年目に入るとだんだん銀行員らしくなってきました。
 この支店にも毎年男性1人、女性5人程度の新人行員が配属されてきました。私に後輩ができたわけです。
 入行して1年目の後輩たちと飲みに行くとき、私もそうであったように勘定はすべて先輩が持つというのがしきたりでした。
 銀行では仕事の上でも遊びでも、同期、先輩、後輩、上司、部下、出身地、出身大学など上下左右の人間関係が、緻密で強固なネットワークとして形成されていくのです。
 毎年秋になると、武蔵野のグランドで「大運動会」が催されます。なかでも、支店対抗の男女混合リレーはメインイベントです。
 ある時、宴席でリレーの選手をだれにするかということが話題になり、「それでは多摩川の河川敷で『決闘』しようじゃないか」となりました。
 酒席でのこと、翌日は忘れていると思っていたら、皆やる気満々です。土曜日の午後、女子行員の黄色い声援の中で、私を含め5人の独身男たちが50メートル走を競い合いました。女子行員の気を引きたい若武者たちはがむしゃらに走りました。
 私は、走・攻・守そろった高校野球児だったことは前にもご紹介したとおりです。 つづく
(写真は19歳の頃、独身寮の先輩達とマラソン
から帰った後、寮の前で。後方左側が私) 
 CCF20070711_00008.jpg

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被災者救援募金を呼びかけました 7月18日
2007/07/18(Wed)
 7月16日に発生した新潟県中越沖地震は震度6強を記録しました。
この地震によって亡くなられた方は9人、1人が行方不明、重軽傷者は1,119人、1万2千人の方々が現在避難されています。
 3年前にも大きな地震で被害に遭われ、再建途上なのにまたもや困難に直面されています。 心よりお悔みとお見舞いを申し上げます。
 7月18日、正保みきお生活相談センターでは砂町銀座商店街の八百屋さんの店先をお借りして「被災者救援募金にご協力ください」と買い物客に呼びかけました。(写真)
 「少ないけど・・・」といって買物したお釣銭を募金箱に入れてくださった方、戻ってきて「がんばれ」といって募金をしていただいた方など、ご協力本当にありがとうございました。
 わずか2時間余りの訴えで、19,101円の募金が寄せられました。
 
 070718_1620~02.jpg

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連載 私の雑記帳 (7)都市銀行へ入社
2007/07/12(Thu)
 私は高校を卒業後、働くことに決めていました。
 1975年、高校3年の秋、札幌で三菱銀行の筆記・面接試験を受けました。そして1ヶ月後、東京勤務の内定通知が届きました。
 翌76年3月27日、私は釧路空港から羽田行きの飛行機に搭乗し、まだまだ冷え込む北海道の大地を飛び立ちました。 空港ロビーのガラス越しに、涙を流して静かに見送る母の姿がありました。
 羽田空港に到着すると兄が迎えに来てくれていました。それはうれしかったです。兄は5年前から他の都市銀行に勤めていて、久しぶりに会う姿は本当にたのもしく大きく見えました。私がこれからお世話になる大田区北馬込の独身寮まで、迷子にならないよう兄にしっかりくっついて歩きました。いや、走りました。
 私の勤務場所は、東急田園都市線(現大井町線)二子玉川駅前にある玉川支店で、その道路向かいには新築オープンしたばかりの玉川高島屋がありました。
 世田谷区玉川とはいっても、多摩川の鉄橋を超えると神奈川県となり、田園風景は田舎者の私にぴったりの場所でした。
 それに、晴れた日には遠く富士山がきれいに見えました。多摩川の土手をすこし歩いて行くと、小さい頃からあこがれていた巨人軍の多摩川グランドがありました。
 私の最初の配属は資金係でした。玉川高島屋から集金してきたテナントの売上金を袋から出して、1円も間違えることなくお札と硬貨を数える仕事です。新入行員の誰れもが最初に経験する部署です。だから、今でもお札を扇形に開いて素早く数えることが身についています。  当時、この東急沿線は開発ラッシュで、たまプラーザなど新しくできた駅の前には三菱銀行の支店が次々と開設されていきました。
 私の資金係には、毎日のように億単位の土地代が現金で入ってきました。 つづく               
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連載 私の雑記帳 (6)初恋
2007/07/11(Wed)
 私の通った中学校は小さな街の高台にありました。
 我が家は、私が小学校5年生の時に離農し、中学1年の頃には中学校まで歩いて10分程の町営住宅へ転居していました。
 家から学校までは上り坂で、線路の踏切を越えてさらに登っていきます。高台の畑のなかにある母校は全校生徒が100人足らずでした。
 それでもスポーツが盛んな学校で、ほとんどの男子が野球部かサッカー部、女子はバレーボール部に所属していました。
 私が中学2年生の時、1つ下の1年生にお下げ髪が凛々しい女の子が転校してきました。彼女の父親は国鉄の職員だったので、駅のすぐ近くの鉄道官舎に住んでいました。
 私は彼女の通学時間を調べて、踏切で出くわすという作戦をとりました。私の通学時間は断然早くなり、規則正しくなりました。
踏切から学校までの5分間はもう心臓がパクパク、ドキドキ。「寝ても覚めても胸が苦しい。これが恋なのか」と初めてそう思いました。
 彼女はバレーボール部だったので、私は野球部のランニング中、体育館の外からジャンプして窓腰にその練習を覗いていました。
 私にはそれが精一杯でした。
 

 
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27回例会山行 実施決定しました。
2007/07/08(Sun)
 参議院選挙の日程が変更になったのを受けて中止となった7月の例会を10月13日~15日に実施することが決定しました。改めてご案内いたします。
 また、27回例会山行を8月25日に実施いたします。案内状を掲載いたします。ふるってご参加ください。
 9月23日には「お誘いハイキング」に巾着田の彼岸花見物を実施します。鉄道を利用し移動します。お気軽に同行してください。

 
 27回例会山行


9月お誘いハイキング

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連載 私の雑記帳  (5)離農、父の入院
2007/07/05(Thu)
 10人兄弟で末っ子の父は、子どもの頃から足に障害があり、あまり丈夫ではありませんでした。兄や姉たちがみんな先に家を出てしまったので、仕方なく家の農業を継ぐしかなかったようです。
 家には、農耕馬(仔馬も)が5~6頭、乳牛が5頭、ヤギが1頭、鶏が30羽くらいとどう猛な犬が1匹いました。父母と祖父母は、朝早くから夜遅くまで農作業に精を出しました。私たち兄弟も当然のように農作業や乳しぼりを手伝いました。(写真左から姉12歳、私8歳、弟3歳)
 私が小学5年生の時、明治時代から先祖が汗水流して耕してきた畑を、二束三文で手放すことになりました。離農した父母は、オートバイに2人乗りして、街の木材工場へ働きに出ました。
 中学1年の冬、父の運転するバイクが凍結した道路で転倒。それがきっかけで父の足骨の病気が悪化しました。入院先の医者から、「家族を呼んだほうがいい」と言われ、兄、姉、弟が面会に行きました。
 父はどうにか退院できましたが、家族にとってこの時期が一番苦しい時でした。夏休みには、高校生の兄も中学生の私も必死になって働きました。
 土方仕事で、泥んこになって受け取った14,000円は本当にうれしかった。今でも、その時のことを鮮明に思い出すのです。
 「あお」と

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7月の例会山行は中止になりました。
2007/07/01(Sun)
 楽しみにしていた上高地行きが参議院選挙の日程変更で中止となりました。思わぬところに影響が出ました。
 1週間先送りすることも考えて、参加の是非を確認したところ予定が立たない方が6名確実になりましたのでやむなく中止することにしました。
 別の機会に実施することにいたしますのでお楽しみに…。また他の企画をとの希望もあるようなので日帰りの計画を立てようかとも考えています。
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