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連載 私の雑記帳   (18) 民主書店の経営
2007/09/27(Thu)
 1987年6月、私は悩んだ末に11年3ヶ月勤めた銀行を退職しました。
そのあと銀行の取引先で多角経営をしていた商事会社の社長に「うちへ来い」と声をかけていただき、経理課長として勤務することになりました。
 ところが、1年後に「パチンコ店のほうへ行ってくれ」と社長から言われ、断ると同時に退職を伝えました。私には生来、仕事とはいえ射幸心と言うものに縁がありませんでしたので、あまり悩みませんでした。
 さて、1960年代の東京では民主書店の創設が進められました。
1964年には、「南葛労働運動の中心である東京東部地域に民主書店を」と、亀戸駅西口の明治通りと京葉道路交差点に近くに亀戸書店が創設されました。社会科学の書籍が中心で教育書も扱っていました。書店設立の期待は大きく、募金や「出資金借り入れ」の運動で多くの資金が寄せられました。初代店長は、後に不和哲三衆議院議員の秘書で江東区議会議員を7期勤めた今井栄一さんでした。
 しかし、亀戸書店など都内でいくつもの民主書店を経営していた友好堂書店が経営縮小をせざるを得なくなり、赤字の亀戸書店を譲渡することに決めました。民主書店の灯は消せないと、亀戸書店の経営を私が引き継ぐことになりました。
 銀行を退職してから3年後、32歳のときです。      つづく
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巾着田の万珠沙華を楽しみました  9月23日
2007/09/25(Tue)
 9月23日、すなまち山の会のお誘いハイクで埼玉県日高市の日和田山に行ってきました。 関東平野の東端に位置する小さな山ですが案外登り応えのある、ハイカーに人気の山です。
 40分ほどの上りですが、途中に岩場のある男坂を登って霧の頂上に立ちました。女坂を雨に降られながら万珠沙華(まんじゅしゃげ)が咲く巾着田(きんちゃくだ)へ向かいました。
 巾着田は、100万本の万珠沙華の群集が咲き誇り、コスモスも競いあっていました。日和田山の上から見下ろすと巾着袋のように見える地形から由来したそうです。
 今が一番の見ごろ。ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
 万珠沙刈華
巾着田へは西武池袋線の高麗(こま)駅下車10分です。
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連載 私の雑記帳  (17) 依願退職
2007/09/20(Thu)
 国立支店勤務が4年を過ぎた1987年6月末、11年3ヶ月勤めた銀行を退職しました。
 銀行が私に対する執拗な労務管理を行うなかで、職場の人間関係で疑心暗鬼に陥り、それがストレスとなって蓄積していきました。
悩みに悩んだ末、自ら退職することを決めました。
 私は、銀行への就職が内定していた高校3年生の秋の校内弁論大会を思い出しました。『社会に出るにあたって』と題し、‘水を恐れるなかれ’‘水をあなどるなかれ’‘水に逆らうなかれ’という“水泳の教訓”を人生訓として生きたいと思ったこと。
 そして、『一度の人生を人間らしく精一杯生きたい』との自分の思いが今どうなっているのか・・・。自問自答しました。
 「銀行員のあなたと結婚したのに」と言う妻の言葉に大きなショックをうけました。
 しかし、長男が4歳、長女が2歳、2年前にマンションを購入し、ローンが始まったばかりの状況のなかで、「何を考えているの!」と妻が必死に止めたのは当然でした。
 申し訳なく思ってはいても、その願いに応えるだけの精神力が私には残っていませんでした。
 私が29歳の夏でした。               つづく
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東砂福祉園を視察しました  9月11日
2007/09/15(Sat)
 9月11日、江東区東砂3丁目の東砂福祉プラザを視察しました。
この施設は、障害を持つ方々の自立と社会参加を支援するための施設で、平成9年に江東区が設置し、社会福祉法人東京都知的障害者育成会へ管理運営を委託しています。
 ここには、重度知的障害者の日常生活の能力向上のための通所施設の「東砂福祉園」、一般企業への就労が困難な障害者に作業の場を提供し、授産活動等を通じて社会的自立及び企業就職への道を開くための「あすなろ作業所」、就労または授産施設に通い、自立への意欲がある障害者に生活の場を提供し、生活指導を通して自立生活を支援する「リバーハウス東砂」があります。このリバーハウス内には、障害者を常時介護している方が、病気、事故、冠婚葬祭等の事由で一時的に介護することができないときのための「緊急一時保護施設」も併設されています。
 障害者自立支援法が昨年4月に施行され、障害者の福祉・医療サービスに1割の「応益負担」が導入されています。
 私たち区議団がおこなった区民アンケートには、「通所施設に通っているが1か月の工賃が5,000円です。それなのに施設の利用料が1日500円、1カ月1万円を払うことになりました。支払えないと通所できません。障害者はどこへ行けばいいのでしょう」など、悲痛な声が寄せられています。
 通所者数56人のあすなろ作業所さんでは、利用者負担金が8,636円(月平均/1人)、工賃は10,813円(月平均/1人)です。中には、利用負担金の方が高くなっている人もいます。さらに給食費の6,185円(月平均/1人)を支払うと、工賃をもらっても5000円の新たな持ち出しになっています。
 厚生労働省の調査では、負担増を理由に入所・通所施設の利用を中止せざるを得なくなった方が1600人を超えています。
 障害者が人間としての当り前の生活をしていくために必要な支援を障害者の「利益」だとして、その「利益」からサービス料を巻き上げる「応益負担」のしくみを変える必要があると思います。
 これでは、障害者の自立を支援するどころか自立を阻害するものではないでしょうか。
  東砂福祉園視察

(写真は左から添谷良夫・正保みきお・斉藤信行各区議)
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耐震補強工事が終わった小学校を視察  9月5日
2007/09/14(Fri)
 日本共産党区議団は9月5日、耐震補強工事が終わった第7砂町小学校と第2大島小学校を視察しました。両校とも校長先生が丁寧な応対をしていただきました。
 下の写真のように、教室の窓側と廊下側の壁の中に三角形の頑丈な鉄骨が組み込まれました。少し教室の中が暗くなった感じがしますが、大地震から子どもたちを守る備えが大きく前進したことは、本当にうれしいことです。
 また、校長先生から「玄関前の階段が急なので地域の高齢者が上るのが大変。スロープが付けられないか」「書道の授業のとき、紙に汗がポタポタ落ちている。特別教室や家庭科教室にもクーラーを設置してほしい」などの要望がありました。
 これまで、区議団は学校の耐震化と普通教室のクーラー設置に力を尽くしてきました。さらに、教育環境の整備に力を入れていきたいと思います。
 耐震補強工事

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連載 私の雑記帳  (16)  疑心暗鬼
2007/09/13(Thu)
 国立支店での外回りも板につき、お客様からも信頼されるようになると、町の有力者や地域に住む銀行OBなどから「君を係長に昇格するよう支店長に頼んでおいたよ」などの声をいただくことがありました。
 銀行と顧客との信頼関係は、預金獲得に直結しています。社長の奥さんの誕生日には心のこもった贈り物を持っていくとか、お孫さんの運動会にカメラを持っていって写真を撮ってあげるとか、お客様によっては格別の「思いやり」を注ぎます。
 その翌日など、「すぐ来い」と言う電話が入り、急いで訪問すると他の銀行から多額の預金付け替えをしてもらえるのです。
 しかし、仕事にやりがいがあり、どんなに業務成績を上げても、私に対する銀行の評価には微塵の「思いやり」もありませんでした。それどころか、私と職場の人たちとの切り離しを画策する徹底した労務管理が行われました。 それは、「あいつとは付き合うな」と言う人権侵害の形で執拗に繰り返されていきました。
 常に職場の人たちとの人間的な信頼関係を培うことに全神経を使わざるを得ない状態が続きました。
 私は疑心暗鬼に陥りました。              つづく
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豊洲への築地市場移転問題で環境省・農水省へ 9月4日
2007/09/11(Tue)
 環境省は土壌汚染対策法の全面見直しに着手することを決め、現在、専門家による検討会がおこなわれています。
 東京都が強引に推し進めようとする築地市場の江東区豊洲の東京ガス工場跡地への移転計画。ところがこの土地から環境基準を大きく超える土壌汚染が判明しました。
 東京ガスは土壌汚染対策法の施行前に工場の操業を中止しているため、現行法の規制からはずれています。法律が改正されれば、この土地も調査の対象となります。
 現在、消費者や市場関係者、環境の専門家などから「食の安全」を懸念する声があがっています。
 9月4日、日本共産党の笠井亮衆議院議員、党都議会議員団とともに土壌汚染対策法を所管する環境省、卸売市場法を所管し市場開設の認可権を持つ農水省から国としての対応について説明を聞き、問題点をただしました。
 私も発言し、国の責任ある対応を強く求めました。DSC_0068.jpg
          (写真は2007.8.27、豊洲の東京ガス工場跡地の地下水調査を視察)
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連載 私の雑記帳 (15) 組合の代議員選挙へ
2007/09/06(Thu)
 大阪へ単身で赴任しながらも、人事命令の再考を求めていた私に、銀行は「3ヶ月以内に再転勤させる」と約束しました。
 そして、3ヵ月後の1983年5月、中央線国立駅前にある国立支店に転勤となりました。
 私が25歳のときです。
 翌年4月、私は従業員組合の代議員選挙に立候補しました。組合の代議員選挙は中選挙区制で、近隣の5~6支店が一つの選挙区(ブロック)になっていました。私と同じ係の課長代理も立候補して来ました。
 この課長代理は、私に投票した新入行員に「正保に入れたのか。箱の中から投票用紙を取り出して、もう一度書き直して投票しろ」と、私への票を減らそうと躍起になっていました。 銀行では、民主主義のイロハもわきまえないこの非常識さえもまかり通っていました。
当選には100票ほど必要でしたが、私の獲得票は48票でした。ところが、「そんなに入ったのか」と、多くの人が驚いたようです。
 支店次長の歓送迎会があった時など、転出する次長が「君を監視してすまなかった」と、私に謝罪するひとコマがありました。
 憲法で保障されている思想・信条の自由という基本的人権を、銀行はいとも簡単に踏みにじり、平然と差別するのは時代錯誤も実にはなはだしい。 
 私は心底腹立たしく、決して許さない。
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第28回例会山行のご案内
2007/09/04(Tue)
 7月に予定していた企画が“参議院選挙”の日程変更でやむなく中止となりましたが、実施のご要望が多数寄せられましたので、28回の例会として復活することになりました。
 10月12日(金)から14日(日)の2泊2日(出発日は車中泊夜行バス)で現地でゆっくり過ごしたいと思います。
 この時期の上高地は紅葉真っ盛り、穂高連峰は初雪に白く輝き、朝晩の気温はグッと低くなりますが、夏の雑踏も一段落して落ち着いた本来の上高地を取り戻しています。
 トレッキングルートは起伏のない整備された歩道です。ほぼ1時間ごとに山小屋があり、設備も整っています。河童橋周辺からは想像もできないほど、山懐に抱かれる心地よさは最高です。

山行

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JR貨物小名木川駅跡のイトーヨーカ堂出店について
2007/09/04(Tue)
 江東区北砂2丁目のJR貨物小名木川駅跡地のイトーヨーカ堂出店計画については、現在のところ商業施設建設の着工が大幅に遅れています。
 この大型商業施設の計画は、JR貨物が明和地所に一部土地を売り、その代金でJR自身が大型商業施設を建設して、イトーヨーカ堂から家賃を取って賃貸事業をするものです。
 JR貨物は、株式会社といっても国の100パーセント持ち株の特殊法人です。したがって、JR貨物が大型商業施設を建てる場合、公共入札が義務付けられているのです。
 昨年12月に入札を公告し、今年2月に入札が行われました。ところが、工事価格の折り合いがつかず不調に終わり、いまだ大型商業施設の施工業者が決まっていません。
 JR貨物は、一般競争入札をやめて随意契約という形で、自分たちの条件を呑んでくれる施工業者を探している模様です。
 商業施設の建設費が高くなると当然、ヨーカ堂が払う家賃に影響してきます。さらにヨーカ堂に入居を予定しているテナント店の家賃にも連動してきます。
 イトーヨーカ堂は、JR貨物と賃貸料の駆け引きをしながら、景気の動向を慎重に見極めているといった状況でしょうか。
 現地は、開発予定の10ヘクタール(東京ドームが2.5個分の広さ)の約3分の1にあたる敷地に長谷工が高層マンションを建築中ですが、商業施設建設予定地は東西の骨格道路ができているだけで更地となっている状態です。
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行政視察に行ってきました 8月28~30日
2007/09/01(Sat)
 8月28日~30日、私は北九州市と大分県の豊後(ぶんご)高田市へ行政視察(超党派の議員9名、議会事務局3名)に行ってきました。
 北九州市では、「環境ミュージアム」を視察し、環境首都を目指す同市の環境事業やまちづくりについて伺いました。
 世界の環境首都実現のために、市民・企業・行政等の協働した取り組みが進められており、2002年にはヨハネスブルグ・環境サミットで「地球サミット2002持続可能な開発表彰」(世界で2件)を受けています。
 もう一つの豊後高田市は、江戸・明治・大正・昭和と賑やかな‘お町’として繁栄をきわめた商店街をよみがえらせようと、昭和30年代を再現した「昭和の町」を視察しました。
 写真は2代目の餅屋さん。店の中から若奥さんと小学生の女の子が出てきて、「東京の江東区からですか。私たちも東京に住んでいて、この『昭和の町』づくりのために主人の実家にUターンしてきたんです」と話していました。
昭和の町

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